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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2024.2.11 主日礼拝 何のために生きるのか⑤「この人生はテスト?」友納靖史牧師【ルカによる福音書 16章1~13節】(新共同訳 新約P.140)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    ペトロの手紙 一 5章6~7節   司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生56番「朝風しずかに吹きて」1~3節
献金感謝
聖書    ルカによる福音書 16章1~13節
特別賛美   「誰かが祈ってる」
宣教    何のために生きるのか⑤「この人生はテスト?」  友納靖史牧師
祈祷
賛美    新生507番「主の手に委ねて」1.2.4節
頌栄    新生667番「聖なるかな 聖なるかな」
祝祷
後奏
宣教概要
 「テスト」とは人の能力を計り優劣をつけ、結果如何では、入学できるか否かが決まるので、余り良い響きではないかもしれません。けれども主イエスの説かれた『神の国』の「テスト(神に与えられる試練)」とは、全ての人が天の御国へ入るため、更にこの地上においても、神が望まれる生き方を選び、天の国と同じ祝福に私たちが預かることを目的とした神が与えられるものです。それは時に私たちにとっては辛く悲しく受け入れ難いものもですが、それを通されることで、次なる神の働きを主より託されるための訓練となります。
「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である(ルカ16:10)」と、人生の中で与えられる神のテスト(試練)に対し、どのような態度・行動を選び取るかを見守っておられると、主イエスは「タラントンの譬え(マタイ25:14-30)」等でその真理を語られました(ルカでは、ある人<イエス>が王の位を受けるため旅立った時、10人に1ミナのお金を渡し、それをどう用いるかテストする譬え:19:11-27)。これらの話は合点・納得のいく物語が多い中、今日の箇所は最も難解な譬えとして悪名高い?ものとされてきました。けれどもここには驚くべき福音メッセージが秘められているのです。
“不正をしてでもずる賢くこの世で生き抜く知恵”が語られるとこれまで解釈されました。ですが実は、主人(父なる神)に財産を託された「ずる賢い管理人」を主イエスご自身とする視点で読み解くと、異なった景色が見えてきます。当時ユダヤの律法や倫理観は、人生で負債を抱え困難に陥った人は罪人であり、裁かれるのが当然とされていました(マタ18:30)。しかしながら神は御子イエスをこの世に送られ、当時の宗教倫理観には背く数多くの真理を示され、神の愛と憐れみの大きさを現わされたのです。特に「神はこの私を赦されるはずがない」と過去の過ちや痛みを秘めて苦しむ人々に、身心と霊すべての癒し(救い)を宣言されました。ですから当時、主イエスは律法学者や宗教家から憎まれたのです。不正と思われるような危険を冒して(証文を書き換え)てでも、主は人々の罪を帳消しにするため、十字架で死んで人々の罪のすべてを贖うと道を選ばれました。この人間の理解を超える驚くべき行為と目的が、次の個所で宣言されています。すべての人々が「永遠の住まいに迎え入れてもらえる」ためだと(ルカ16:9)。そして主イエスは続けて「だから、不正にまみれた富について忠実で<証文を書き換えるように、主が罪を赦されることを信じ>なければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか」(16:10)とユーモアを交え諭されたのです。
 私たちは目で見て、自分に理解できる範囲で人生に起きる出来事を解釈し、ある時は神を賛美感謝し、またある時は神を呪う弱さを持っています。しかしイエス・キリストに出会った者は人間の常識や経験を越えて、神が私たちを愛する故に、すべての者が「神の国」へ入り、地上でも「本当に価値あるもの」を選び取り、天と同じ祝福に満たされて生きる者へとなるため「テスト(試練)」を与えられるのです。
 「神よ、なぜですか?」「主よ、どうしてですか!」と、人生に起きる理解不能な出来事に悲しみ、苦悩し戸惑い、叫び祈る私たちに主はいつも共に寄り添ってくださいます。「人生は決して私たちを苦しめるためでなく、人には計り知れない神のご計画と意味がある」と信じ、どこまでも神を信頼し続けるテストに合格したいものです。すると主なる神も、弱さを抱えたままの私たちを信頼し、偉大な神の働きを託されるからです。
この教会に集う私たちは、神の試練(テスト)の意味と目的を心にとめて、いかなる苦難をも乗り越えられるよう、支え合い、日毎に与えられる小事にも忠実な者となれますよう、聖霊の助けを祈ります。